ものに名前を
街を見渡すとビニール傘を持つ人が
増えたなと思う。
電車なんかで忘れてしまっても
ビニール傘ならまあ、いいかと諦めがつく
下手をすると、コンビニの傘置き場に預けたら自分の傘がなくなっていて
少し煮え切らない思いをするけれど
まあいいやと終わってしまう
いまの時期はお祭りなんかで宣伝広告の入ったうちわが無料で配布される
人はこぞってうちわに手を伸ばすが
お祭りが終わるとシンとした道路に
寂しくうちわが散らばっている
そんな光景を見ても私たちは
傘やうちわを「もの」という名前の消耗品としか見ていないため務めを果たしたゴミにしか感じないのかもしれない
けれどもそんな「もの」にも変化があった
和紙が有名な地域の祭りに足を運んだときに
うちわをつくりませんかとおばあさんに声をかけられた
話を聞けば500円で和紙を使ったうちわがつくれるとのことだった
祭りの道を歩けば無料でもらえるうちわにわざわざお金を払うのもなと思ってしまった
けれども、町おこしにつながる資金になるならと思い様子を見せてもらった
うちわをつくる小屋の中に入ると
蒸しっとする湿気のなかで汗をたらしながら
子どもたちが自由気ままに筆を使い楽しそうにでんぷん糊をベタベタと和紙に貼り付けて骨の部分に貼り合わせていた。
大人もほんの少しだけいたと思う。
席に座ると色とりどりのマーブル模様が入った和紙を何十枚も渡され、好きな柄を選んだ
私は爽やかな夏空に入道雲が浮かんでいるような水色と白の柄を選んだ
扇部分の型を鉛筆でとり
切り抜くと子どもたちのように糊付けする
作業はものの15分足らずで
終わるような作業だった
その中で一番驚いたのは
「もの」としてしか見ていなかった
うちわが自分の手から生まれたことだった
なにを言っているんだ、当たり前だろと言われるかもしれない
なにに驚いたのかと言えば「もの」にも生きる過程があったことを今更ながらに気がついたからだ
うちわはいきなりうちわになったのではない
いくつもの工程や、人の手によって慎重に、大切につくられたものなのだ
こんな当たり前のことを忘れていたなんて
頭にどーんと鐘を突かれるような衝撃だった
そんなこんなで、私のうちわができたのだ
「もの」ではない
私に風をはこんでくれるための私のうちわだ
そうやって私のうちわと名前がつくと
本当に不思議で
持ち帰る際に扇の角が曲がりそうになるだけで
うちわが気になって仕方なくなる
昔の人が使っていた道具たちはこうやって大切にされてきたのだろうか
よく、祖母の家に行くと
孫の手やおぼんやら何にでも使い始めた日付が書いてあった
どうしてそんなこと書くんだろうと子供ながらに思っていたが、
ともに生きる道具たちを迎え、その歩みを忘れないことだったのかなと思う
それはきっと今みたいな消耗品を意味する「もの」ではなく、私とともに生きる
私の「もの」だったのだろう